ハリキリ父ちゃん, プライベート

号泣 母の告別式での挨拶

私事になりますが、7月3日、母が亡くなりました。SNSで友人達からたくさんの温かい励ましの言葉を頂き、嬉しかったです。告別式では父に代わって挨拶致しました。母にとって孫にあたる姪の挨拶で不覚にも涙腺が緩んでしまい、自分の挨拶では、完全に人格崩壊し、号泣で、まともな挨拶になりませんでした。途中、妻から投げ渡されたハンカチで、留まることを知らずあふれ出る涙と鼻水を拭きながら、何とか最後まで読み切ることができました。「こんなおっさん見たことない」とベルコの方々もビックリしたことと思います。文章を形に残しておこうと思い、お恥ずかしいですが、アップさせて頂きました。

 



挨拶文

 

遺族を代表して皆様に一言ご挨拶申し上げます。

 

本日は母千恵子の告別式にご参列賜り誠にありがとうございました。

母に生前賜りました皆様からのご厚誼に対し心より感謝申し上げます。

 

母は3週間前から肺炎を患い入院しておりましたが、一進一退の病状の中、一時は回復するかもとも思いましたが、今日のこの日を迎えることとなりました。

 

思えば、ここに来るまで、胃病、ヘルニア、膠原病、脳梗塞と母は晩年15年以上、病と闘う生活を送っていました。母の晩年は病気づくしでありましたが、最後は突然で思いのほか安らかなものでした。

 

自分のことを語ることの少なかった母ですが、私が尋ねたことに対して応えてくれたことを結い合わせて、母のことを少し語りたいと思います。

 

母は5人兄弟の末っ子、4人の男兄弟の末の妹として生まれました。幼くして父親を失い、唯一の女の子として小さいときから寡婦である母親の手伝いをよくさせられていたと言っていました。学校の成績は良かったようですが、家庭の事情で高校進学は断念し、中学を出てすぐに働き始めました。母の幼少期のことについて尋ねると母はよく「自由が無かったなあ。」と語っていました。

 

母が25歳の時に父と知り合って結婚。小さい頃私はよく母に、「何でお母さんは、お父さんと結婚したの?」と尋ねました。母は「う-ん、優しかったからかなあ」と照れ笑いしながら応えてくれました。私はそのときの母が好きで何度も同じ質問をしました。

 

父と母は神戸市中央区でアパート暮らしを始めました。父も早くに両親を亡くしていたので、「しっかりとした家庭を築こうと」決意して、若い2人は寄り添うように暮らしていたのだと思います。そして、姉と私が生まれました。

 

父は繊維工場で働き、母は洋裁で家計をよく助けました。母はオシャレで、私が小学生の時悪童の友人たちから、「土田の母ちゃんはきれいなあ」といわれるのが自慢でした。近所にある市場に買い物についていき、その後、母の横で夕食の準備を手伝っているときが私の至福のときでした。今思い返すと、あの時代が母と私のピカピカの時代でした。

 

私が中学2年くらいになって、反抗期となり、家で暴れるようになってから、母に苦労ばかりかけていたのが一番の反省です。母は気丈なところがあって、その手の内から出て、自分自身を確立するため、私の母に対する反抗は大変激しいものでした。直接の暴力はありませんでしたが、父より身体が大きくなった私が、罵声怒号を浴びせながら家のものをつぶす等かなり激しいものでした。

 

私が反抗期になって、両親が私に手を焼くようになっても、姉が反抗期らしい反抗もせず、両親と仲良くやってくれていたのが、私の救いとなっています。

 

母が一番輝いていた時代は、姉が長女と長男を産み、母が長年勤めた会社を定年退職し、孫の世話に元気一杯走り回っていた時期だったと思います。この時母は幼少期から家庭に縛られてできなかったこと全てに挑戦したいと意気込んでいました。そして実際に、自転車、水泳、パソコン、ピアノと次々に挑戦し、成果を出していきました。

 

ここで姉にお礼を言いたいと思います。

「お姉さん、母の充実した時に、輝きを与えてくれありがとう。母もきっと喜んでいると思います。」

 

父は母とよく喧嘩もしていましたが、母のことを愛していたと思います。特に、闘病生活一色となった母の晩年、父は母の手足となって、片時も母のそばを離れず介護に尽くしてくれました。本日も、「花に囲まれて逝きたい」と言っていた母の言葉通り、祭壇と母をたくさんの花で飾ってくれました。最後になって、「優しい人だから父を選んだ」という母の言葉が正しかったと思います。母はきっと心から父に対して感謝していることと思います。

 

そして、本日ここに参列してくださっている皆様。母の信頼していた人ばかりだと思います。

母は、生まれ、育み、老い、病んで、死んでいった、名も無い一人の女性でした。しかし、私たちの心の中では、たった一人の「土田千恵子」として、永遠の時間の中で、生き続けていくことと思います。

 

本日は誠にありがとうございました。

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